監獄にうち捨てられた子ども

今日は夕飯がおいしく食べられた。
祖母が烏賊飯買って来てくれた。
母が漬物作ってくれた。
オヤジは2日前にアイス買って来てくれた。
ニュース見ながら夕食食べて時事ネタとか歴史とか本とか親戚の話して狭いネタで笑う。


一度家出るまでは、こんなの普通だと思ってた。
・・・・・大学出たら、周りに誰もそんな話してくれる人いなかった。
皆同じ話題と同じ反応しかしない人形みたいな大人に囲まれて朝から晩まで机に座らされて、つまんない無駄話聞かされて、電車にすし詰めにされてハコみたいな建物眺めながらちいさなハコに帰って、ペットショップのケージにいる鳥のように何か喋ってる同期の喧騒を聞かされながら鄙びた住宅地に軟禁される。寝る度にその繰り返し。
忙しくてそれまで親しかった友人との連絡も途絶えた。
38年出られない監獄に入ったと思った。
ゾッとした。


話すことが、話せることが無さ過ぎて、一時期、言葉が出なくなってしまったよ。
話すことがあるって、話したいことが話せるって、すごい有難い環境なんすね・・・



ネットで調べたこととか
見たニュースとか
図書館で新しく借りた本のこととか
話す度に親たちは繋がる話題を持っていて
結局のところ私の頭の中身と話法の基礎はこの人たちで構成されてるんだと思い知らされた。



・・・・・正直、そういう意味で今の会社の人たちとは人種が別であるとしか思えないんだけどな。
必死になって合わせようとして死に掛けたくらいだし・・・






今まで家の中で私はたった一人仕事の無い養われる身分で
だからその分の存在価値をとにかく外部評価に頼らざるを得なかった。
無駄に勉強したり
何にでも夢中になって何でもうまくやって何でも吸収しようと必死になって
実績がないと自分の存在価値に自信が無かった。



だからどうしようもなく辛かったのに限界も限界まで無理して頑張って
本当にどうしようもなくなって泣きの思いで逃げ帰って
2ヶ月ひきこもって倒れこんで、寝ては薬飲み、薬飲んでは寝て、眠りに眠ってシーツに穴あけた(爆)
それでも別に誰も態度変えなかったよ。
相変わらずご飯は出てきたし、冷凍庫にはたまにアイスがあった。
今まで私は、周りから褒められる子どもだから家に置いて貰ってるんだと思ってたかな。
楽しくてやってた勉強が、長い年月のうちにいつの間にかやらないと嫌われるにすり替わってたかな。
とにかく家から逃げ出して誰にも頼らなくてもお金稼いで生活してくのが人として最低限のラインだと思い込んでたかな。


人として最低限のラインなんて、ホントはどこにも無いのかもしれないですね。
へろへろになって実家に逃げ帰ってきて、眼を開けてるのも辛いのに、一番最初に小さい頃のアルバムを引っ張り出して見た。
私はどうみてもどこもかわいくない赤ちゃんだったのに、写真が死ぬほどあった。
泣いた。



親って不思議です。



話の通じる、妥協できるラインで
何とか生きていける方法見つけようと思うよ・・・